会社概要
会社名 名古屋建物管理株式会社
設 立 昭和48年8月23日 (堀内不動産㈱100%出資)
代表者 代表取締役社長 堀内 孝明

所在地
愛知県名古屋市中村区名駅三丁目25番9号 堀内ビル3階
名古屋駅(JR、名鉄、近鉄、地下鉄)より徒歩5分
ユニモールU6出入口直結

 

 

名古屋建物管理株式会社

愛知県名古屋市中村区名駅三丁目25番9号

 

 

 

関連サイト


 

https://ajimichi.jp/

 

美食が集う路地。AJI MICHI 名古屋駅前 堀内ビルB1階 

 

 

 

堀内不動産株式会社(親会社)について


 

堀内不動産株式会社のおいたち―まちの開発には一世紀の歴史が…

今から四百有余年前の慶長年間に尾張初代藩主徳川義直公が清州城より名古屋城へ御引移しのとき、城下町ぐるみで御供し堀内家先祖・堀内四郎兵衛もそのとき移ってまいりました。いわゆる「清州越し」と呼ばれるものです。堀内家先祖・堀内四郎兵衛「清州越し」より数えて十代目の堀内金兵衛が現在の名古屋駅前地区の開発に努力したことは、古くはよく知られていました。その功績によって明治35年(1902年)3月、名古屋市より堀内の姓を町名にして「堀内町」と名づけられたのです。

 

遡りますが、明治28年(1895年)6月8日、堀内金兵衛はこの地(当時は愛知郡下広井村)において名古屋製油株式会社を設立しました。鯱を図案化したものを社章にして食用油の製造・販売を開始しました。その後、事業の拡大により原料及び製品の海運に便利な地、四日市市浜町に昭和13年(1938年)12月移転して、製品も「鯱印の菜種油」として製造・販売していました。やがて輸出も始め事業は順調に推移しておりました。しかし、昭和16年(1941年)には第二次世界大戦が勃発し、各種食用油の製造工場は昭和20年(1945年)6月の空襲により炎上してしまいました。

 

その後、長い時を経て、堀内家の大きな転機となったのは、昭和35年(1960年)12月28日、堀内家十二代目の堀内修一郎が堀内不動産株式会社を設立、代表取締役社長に就任し、名古屋駅前地区「堀内町」の再開発に取り組み、この地の多くの方々のご理解とご協力のもと、多くの戦前からの木造の建物を取り壊し、複数のオフィスビル建設計画をつくったことでした。そして、1棟目の地鎮祭を執り行いましたが、着工を見ることなく初代社長は志なかばにして亡くなりました。

 

初代社長の妻 須磨はビル建設に総力をかけた初代社長の遺志を尊重し、本計画を進めるために、昭和37(1962年)11月、代表取締役社長に就任しました。しかし、初代社長を失った当時の周囲の状況は予想以上に厳しく、本計画を中止すべきであるとの意見が強い中で、社長須磨は怯むことなく着工の決断を下し、当時28才の長男 忠男、24才の次男 武雄の次世代に代表取締役を与え昭和38年(1963年)11月、経営を託しました。この初代社長の遺志を引き継ぎ、次世代はこれらを実現して、名古屋駅前地区「堀内町」発展の一翼を担ってまいりました。

 

堀内町町名由来

堀内町は上笹島町の南、米屋町の西、泥江町の北、広井町の東に位置し、1丁目より3丁目まであり、もと愛知郡下広井村の内にして、井ノ内、東辻、北中田、中島内の字ありしが、明治31年(1898年)、当市内に編入し、明治35年(1902年)3月今の町名を附す。堀内金兵衛(堀内家十代目)当町開発に尽力せしを以って、堀内町と名づけたり。(出典:名古屋市地理編)

※昭和52年(1977年)10月23日、堀内町は新法律施行により中村区名駅三丁目等に町名が変更となりました。

 

昭和11年(1936)頃の名古屋駅前堀内町付近の地図
旧町名 名古屋市中村区堀内町
新町名 名古屋市中村区名駅三丁目